Japanese Antique SAMURAI Sword and Fittings
日本刀|十拳|HOME »刀装具・刀装金工一覧 »鐔/ 鉄地菊桐図鐔 銘/梅忠 »ご注文方法 »店舗案内・地図

縦/height 8.7cm 横/width 8.0cm 厚み/thickness 0.2cm 重量/weight 132g 正価/price 90,000円
鑑定書/certificate 日本美術刀剣保存協会 保存等装具鑑定書(N.B.T.H.K. / hozon) ※特製桐箱入り
鉄槌目地を撫木瓜形に仕立て、鋤出彫りで写実的な桐とデフォルメされた菊の花を描く。
耳は鋤き残し打ち返す。埋忠の「埋」の字を梅の花の金象嵌であらわす。
江戸に住んだ埋忠派の多くが「忠を埋める」という文字を嫌い、「埋」の字を『梅』に改め梅忠と銘を切った。
梅の字を梅花形に文様を彫ることもあるが、本作はそれらの一枚である。
文政年間の「刀剣鑑定歌伝附録」によると
「梅多田と申すは皇城東北の郷即ち宗近の領知なり。仍而宗近苗字となす。又三条東洞院と烏丸との間は、今に梅忠町と云う。更に埋忠の文字の事は、梅多田の曠野の方辺に水溜池あり。この池を埋めんがために浮人形を拵えて池に放ち、従来の旅人礫を投ぐ。年月を経て平地となる。御代の皇帝称小院の天聴に達し、叡感あり。中納言豊光卿、烏丸家御館に召出され、勅定 依工深成平地。以忠埋梅多田 埋忠と可改。波之丸の紋を相添下さる。時に応永廿三丙申年、是れ宗近十九代の孫彦之進橘重宗時代也。猶梅忠と書く事は京都所司代板倉周防守殿、関東下向の節、一品を献ぜらる。即透し鍔なり。埋忠は文字武家の忌言なり。向後梅忠と改む可き旨仰せ渡さる。此時宗近廿八代の孫橘宗之の代也。
三条より西陣へ移る事は、元亀元歳庚午二年十五日なり。即ち宗近廿四代の孫彦左衛門橘宗隆の代也」
とある。都の文化と違い、関東の武家文化には何かと「忌」はばかりごとが多かった。今でも関東では鰻は背開き、関西では腹開き。これは腹開きが切腹を意味して縁起が悪いと武士が嫌ったためとか、関東のお雑煮が味噌味でないのは、正月から「ミソを付ける」(失敗する)のは縁起が悪いと醤油味だったりと枚挙に暇がない。本作はそんな京から江戸の武家社会へやってきた埋忠派の戸惑いや苦労が思い起こされる逸品である。