刀装具【鐔・縁頭・目貫・小柄】 鉄地双鯱図透鐔 無銘「越前」保存刀装具鑑定書附
- Tetsu ji So-Syachi zu sukashi Tsuba "Echizen"N.B.T.H.K."Hozon"-
- 縦/height7.9cm
- 横/width7.85cm
- 厚み/thickness0.6cm
- 重量/weight128g
- 正価/price売却済-sold-
- 鑑定書/certificate日本美術刀剣保存協会 保存刀装具鑑定書/N.B.T.H.K. Hozon Tosogu
鉄地に向かい合った二匹の魚虎の透かし鐔である。無銘ながら、越前と鑑定された一枚。
鯱鉾といえば、二代歌川広重として活躍した歌川重宣の作品「諸国名所百景 尾州 名古屋 真景」
この名古屋城の天守に輝く金の鯱鉾が目に浮かぶ。徳川家康の命により慶長十五年に着手した名古屋城築城は慶長十七年(1612)にほぼ完成し、大天守に上げられた当時の金鯱(名古屋城の金のしゃちほこはキンコと呼ばれた)は金箔張りではなく金板で造形された。
金の総重量はなんと215.3kg。現在の価格に換算すると15億3272万円円の金の塊である。(7,119円/g(2020/10/22(売+買÷2))
しかし、尾張藩の財政悪化により享保十五年(1730)・文政十年(1827)・弘化三年(1846)と、三度に及ぶ金の削ぎ取りが行われ(金鯱改鋳)混ぜ物が増え、だんだんとその輝きは薄くなっていった。
諸国名所百景が描かれたのは安政六年十二月(1859)(改印より)。
和漢三才図会 【魚虎 しゃちほこ】
城楼屋棟瓦作置龍頭魚身之形謂之魚虎(未知其拠)蓋置嗤吻於殿脊以辟火災者有所以(嗤吻詳干龍下)
城楼の屋棟の瓦に置く。龍の頭に魚の身この形を作り之を魚虎と謂う。(未だ其の拠を知らず)
蓋し嗤吻を殿脊に置く。それを以て火災を避けるといういわれ有り。(嗤吻は龍の下に詳らかなり)
蘇氏演義 巻上 欽定四庫全書より
蚩者 海獣 也 漢武帝作 柏梁殿有上 疎者云 蚩尾水之精 能辟火災 可置之堂殿 令人多作 鴟字見 其吻如鴟鳶 遂呼之為・・・
蚩という者は海の獣なり。 漢の武帝が築いた柏梁殿の上に有り。 疎者が云うには、蚩尾は水の精であり、よく火の災いを避けるため堂や殿に之を置くべきと多くの人に作らせた。鴟の字が見えるは、その口元が鴟鳶のようであるから、これを鴟吻と呼ぶに至る・・・
※二代歌川広重「諸国名所百景 尾州 名古屋 真景」国立国会図書館デジタルコレクションより>https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1309832
和漢三才図会 【魚虎 しゃちほこ】
城楼屋棟瓦作置龍頭魚身之形謂之魚虎(未知其拠)蓋置嗤吻於殿脊以辟火災者有所以(嗤吻詳干龍下)
城楼の屋棟の瓦に置く。龍の頭に魚の身この形を作り之を魚虎と謂う。(未だ其の拠を知らず)
蓋し嗤吻を殿脊に置く。それを以て火災を避けるといういわれ有り。(嗤吻は龍の下に詳らかなり)
蘇氏演義 巻上 欽定四庫全書より
蚩者 海獣 也 漢武帝作 柏梁殿有上 疎者云 蚩尾水之精 能辟火災 可置之堂殿 令人多作 鴟字見 其吻如鴟鳶 遂呼之為・・・
蚩という者は海の獣なり。 漢の武帝が築いた柏梁殿の上に有り。 疎者が云うには、蚩尾は水の精であり、よく火の災いを避けるため堂や殿に之を置くべきと多くの人に作らせた。鴟の字が見えるは、その口元が鴟鳶のようであるから、これを鴟吻と呼ぶに至る・・・
※二代歌川広重「諸国名所百景 尾州 名古屋 真景」国立国会図書館デジタルコレクションより>https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1309832