日本刀販売・刀剣専門店【十拳-TOKKA-】

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刀装具【鐔・縁頭・目貫・小柄】 赤銅七々子地幼剣梅鉢(加賀梅鉢)紋 - Shakudo nanako ji Umebachi-mon Tsuba -

【赤銅魚子地幼剣梅鉢(加賀梅鉢)紋鐔】日本刀専門店【十拳-TOKKA-】刀装小道具・刀装金工・鐔・縁頭・目貫・小柄 【赤銅魚子地幼剣梅鉢(加賀梅鉢)紋鍔 紋部分】

漆黒の赤銅七々子地に浮かび上がる梅紋は、加賀前田家の家紋『幼剣梅鉢』と思われる。上質な赤銅を梅紋の部分のみ残して丹念に七々子打ちし、角度によって姿を現す粋な仕立てとなっている。
前田家は、京文化を加賀に取り込み各地の名工を招きいれ、今日、加賀ルネッサンスと呼ばれる美麗繊細な文化の礎を築いた。刀剣鑑定と研ぎを本業とした本阿弥家。琳派の祖と云われる本阿弥光悦は書、陶芸、蒔絵など多くの才能を持ち、前田利家より知行を与えられ、本阿弥家は幕末まで加賀藩に仕えた。金工師としては京より後藤家が招かれ、後藤家七代顕乗、九代程乗、後藤覚乗が加賀に赴き、加賀藩の彫金ならびに財政面の御用達を行い加賀後藤一派の発展に尽くした。
明治41年に数寄者としてして知られる高橋箒庵(高橋義雄)が記した「東都茶会記」
金澤闡秘録(甲)-金澤名門の什宝-より抜粋
元和偃武げんなえんぶの後百万の提封ていほうを擁して ぐうを北陸に負いたる前田家が、徳川氏に取りて如何に目の上の大瘤なりしかは今より想察するに難からず 三代利常卿 疾くも之を悟りて 故に文弱の風を装い弓は袋に刀は鞘に能楽を張り茶道を興し百工技芸を奨励して 封内悉く太平を謳歌し金澤城下をして華奢風流の街と化せしめたるは 当時江戸の猜疑を免るる唯一の政策として誠に已むを得ざりし者ならん 江戸の嫉視は五代綱紀卿の世に至りても尚 依然たりしものの如く 将軍御成の御殿新築なる名誉的御用金に凡そ百万両を課せられ 流石の大藩も一時財力を消耗せられたるが如き当時の情勢頗る危険なる者なりしが 此等偏文的藩政に依りて美術工芸の大家を聘し 其意匠技術を藩民に遺傳したるの功徳は蓋し鮮少ならざる可きなり 茶道に於いては金森宗和、小堀遠州、千仙叟、絵画に於いては久隅守景、蒔絵に於いては五十嵐道甫、金工に於いては後藤程乗、陶器に於いては仁清及び久谷、大樋の初代の如き 其藩内に居住せしと否とに関せず加州の美術工芸に貢献し 何れも創始的感化を藩内に普及したるは今日遺傳する加州人の特徴に於いて明に之を證することを得べし。」・・・箒庵頓首

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