Japanese Antique SAMURAI Sword and Fittings
日本刀|十拳|HOME »刀装具・刀装金工一覧 »鐔/ 赤銅七々子地源平合戦図(宇治川先陣・敦盛最期) »ご注文方法 »店舗案内・地図
縦/height 7.8cm 横/width 7.3cm 厚み/thickness 0.3cm 重量/weight 144g 正価/price 売却済-Sold-
赤銅七々子地に金七々子覆輪。表は波高い宇治川と宇治橋、裏は須磨の海を金象嵌、波頭には銀象嵌と凝った造り込みの鐔である。源平合戦の図を表裏に描いた鍔で、表は宇治川先陣図、裏は熊谷敦盛図となっている。どちらも大変有名な場面である。
宇治川先陣は寿永三年(1184)一月二十日の出来事である。平氏追討に貢献した木曽義仲ではあったが、京での振る舞いや皇位継承を巡る後白河法皇との対立で、源氏の敵となってしまう。宇治を防衛線とした義仲勢に対し、宇治川を挟んで平等院側につけた義経を大将とした鎌倉勢。雪解けで増水した宇治川の水面には白波が立ち、波が逆巻く激流をみた義経は迂回をするか波が収まるまで待つか思案する。そのとき、生食に乗った佐々木四郎高綱と磨墨に乗った梶原源太景季が我先にと姿をあらわす。先を駆ける景季になかなか追いつけずにいた高綱は、「此河は西国一の大河ぞや 腹帯の伸びて見はさうぞ締め給え」と云いければ、梶原、さも有らんとや思いけん 手綱を馬のゆかみに捨て左右の鐙を踏みすかし腹帯を解いてぞ締めたりける。佐々木その間にそこを、つと馳せ抜いて河へさっと打ち入りたる。本作、岸辺で馬を止め、弓を顎に挟み、腹に手を当てている梶原景季と宇治川に先んじて打ち入る佐々木高綱の姿が見て取れるだろう。
さて裏を見てみると、場面は変わり寿永三年二月七日須磨での出来事である。激しい戦いが繰り広げられた一ノ谷。源氏の武将、熊谷次郎直実は名のある武将の首を取り功名を得たいと、一ノ谷で敗れた平家の者が助け船に乗るため現れるであろう海岸へと向かう。そこで見つけたのは練貫に鶴縫いたる直垂に萌葱匂の鎧(鎧の威のひとつで上から下へ次第に萌葱色を薄くしたもの)着て鍬形打ちたる兜の緒を締め、金作の太刀を佩き、二十四指たる截生(きりう)の矢負い滋藤の弓持ち(24本の斑入りの矢羽根に藤巻の弓)、連銭蘆毛(白に灰色の丸い斑模様がある毛色、蘆毛の中でも身分の高い武将の馬)なる馬に金覆輪の鞍置いて乗りたる者一騎。熊谷は、あれはまさに自分の求めている名のある武将であると、沖の船を目指し海へ打ち入っていた武者に「敵に後ろを見せ逃げるとは卑怯である。戻ってこい」と扇を挙げて叫んだ。
本作、波打ち際、海中へと敗走する平敦盛と扇を手にそれを追う熊谷直実の姿を描いた裏面である。
合戦図の刀装具は人気が高く、様々な名場面を見ることが出来るが、本作のように表裏に別の場面を描いているのも珍しいのではないだろうか。宇治川先陣図が表面ではあるが、櫃孔も同型であり図の構成もどちらを表にしても使用できるように造られている。重ねて珍しい逸品である。