刀装具【鐔・縁頭・目貫・小柄】 鉄地沢瀉透かし鐔- Tetsu ji Omodaka sukashi Tsuba -
- 縦/height7.8cm
- 横/width7.8cm
- 厚み/thickness0.5cm
- 重量/weight99g
- 正価/price売却済-sold-
沢瀉は、戦陣の縁起紋・尚武紋で、武家好みといわれる文様である。「勝軍草」「将軍草」とも呼ばれ、水辺に自生し、葉は矢尻形で夏に白くかわいらしい三弁の花を咲かせる。江戸時代に至る頃には大名十一氏、その配下百家余りと多くが家紋として用いたという。戦国武将、毛利元就の沢瀉に蜻蛉の逸話は有名である。本作、鉄地に沢瀉を透かし、小柄櫃を四角く仕立てすっきりとした意匠の鐔である。
かく武人の好んで、これを用いたる文様なりしが上に、その形もまた優美なれば、後世これを紋章に用いたるものの如し。稀には、毛利氏の沢瀉紋の如きは、記念的意義にもとづけるものあり。毛利候の旧臣村田峰次郎氏の談に、毛利氏が沢瀉紋を用いしにつき、その旧臣長沼氏の家傳として左の如き説を伝えたりという。「或る年、元就戦に臨み河を渉りしに、沢瀉に蜻蛉のとまれるを見て、観賞措かず、進んで敵と合戦するに及び勝利を得しかば、この事を紀念せんがために、これより沢瀉を家紋に定めたりという。」
...本紋替紋の区別を立つるに至りしは、あながちに紋章の新古にもとづけるものにあらずして、主として武功に賜わしたる由緒の伝わりたるものか、もしくは権門勢家より伝わりたる名誉あるものかを択びたるものなることは、その選定の跡に就いてこれを知ることを得べし。...また毛利家の一文字三星紋の如きは、大江氏の出自に関わる諸氏、例えば永井氏佐波氏の諸氏と共に用いたるものにして、毛利氏として最も古き紋章なるも、然るにこれを用いずして沢瀉紋を用いたるは、この紋が元就の武功を紀念せんがために創はじめられたるものなればなり。
...また毛利氏はその一門分かれて長門萩・府中・淸末・周防徳山の四家となり。共に本紋に沢瀉、替紋に一文字三星を用いたり。
日本紋章学 沼田頼輔著 大正十五年より