Japanese Antique SAMURAI Sword and Fittings
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縦/height 1.3cm 横/width 3.1cm 正価/price 売却済-sold-
虎豹図目貫 無銘『通乗』金無垢地 容彫 赤銅象嵌 日本美術刀剣保存協会 保存刀装具鑑定書
日本の動物学者、博物学史研究者である磯野直秀氏の「明治前動物渡来年表」で虎が初出するのは天正三年。明より豊後大名である大友宗麟に送られたとある。その後、文禄三年には豊臣秀吉のもとへ生け捕りにされた虎が送られ、慶長七年には交趾より一頭、慶長十九年にはヤン・ヨーステンより虎の子二頭が徳川家康に献上される。当時、実際に生きた虎や豹を見ることが出来たのはほんの一握りだったと思われる。だが幕府の御用絵師らは室町後期、江戸初期と虎を見て写生したであろう。
時は過ぎ、万延元年に横浜に豹がおりたった時は絵師らがこぞって虎と豹の絵を描いている。面白いのは河鍋暁斎の大判錦絵二枚綴「舶来虎豹幼絵談」。この口上で「虎といい豹と称え又豹は虎の牝なりしと諸説区にして、一定せず(-中略-)そもそも今般舶来の猛獣はその毛の斑文銭の如くなれば豹なること必定せり。」と長々と豹は虎ではないと説いているのである。ということは江戸後期にいたるまで、虎と豹は同一視されていたと考えることが出来る。
室町幕府の御用絵師であった狩野正信を祖とする狩野派。後藤家初代祐乗は狩野派二代元信の下絵によって数々の文様を描いた。どちらも本邦を代表する一派であり、幕府の抱え工である。そのどちらも約四世紀にわたり忠実に伝統維持、技術の継承を担ってきた。本作は後藤家十一代通乗の作と極められた一品。金無垢地に赤銅象嵌で模様を入れ、親虎がいたずらな子虎を諫めているように見える愛らしい目貫である。横幅ほんの3cmしかない小さな中、この表情豊かで躍動感あふれる姿を彫りきっている後藤通乗の技量に目を奪われる。
通乗の彫琢心ききたる彫り方。花鳥の類にいたっては目をおどろかす物多し。 気象あざやかに見えて、はたらきある彫り方なり。平生の行儀正しく、毎朝食事まえにまず鏨をとりて青海波を彫り、 其後食事なしけるとあり。是らの一事を聞いても凡作ならざるを知るべし。享保六年十二月廿七日おわる。 光壽院通乗日詣居士という。 すべて獅子、龍の類いは花鳥人物にはおとる。 通乗は器量ある作にて風義一変す。虎の鼻なども猫鼻に彫り、すだれ斑もすべて毛がきに彫る類い。 そのほか水仙の花ようのものも六葉に彫る。古代は五葉なるも。 また龍・獅子・虎の類い、目打ち鏨、表へむくほう、少しかたよりて打つ。 これ第一の見所なるも、俗にいうスガメに似たり。 自作の彫物、目覚えの鏨あり。廉乗の条下にいうがごとし。折紙と見どころあり。 口傳
野田敬明 高瀬伴寛 編集「金工鑑定秘訣」文政三年原板 大正六年二月十日再刻 巻一 p.29 巻二 p.12