刀装具【鐔・縁頭・目貫・小柄】 赤銅七々子地舟弁慶図縁頭 銘/忠義
Shakudo nanako ji FunaBenkei zu Fuchi & Kashira Mei / Tadayoshi

- 縁縦/Fuchi.height3.8cm
- 縁横/Fuchi.width2.1cm
- 縁厚み/thickness1.2cm
- 頭縦/Kashira.height3.2cm
- 頭横/Kashira.width1.7cm
- 正価/price売却済-Sold-
赤銅七々子地に高彫りで吾妻鏡、義経記を下敷きに書かれた能楽「船弁慶」、源義経と静御前の別れと、大物浦で難破した義経一行の姿が描かれている。
吾妻鏡によれば文治元年(1185)11月6日、都落ちした義経らは九州へ渡ろうとして大物浜より船出するが暴風雨のため難破し浜へ戻される。残ったのは義経、弁慶、有綱、景光、そして静である。義経記によれば大物浜から吉野山に入り、そこで静を残し義経等は最期の地となる奥州平泉へと逃げ落ちていくのである。
能楽「舟弁慶」は世阿弥の甥、音阿弥の子で自身もまた能楽(猿楽)師であった観世小次郎信光の作である。
能楽「舟弁慶」は世阿弥の甥、音阿弥の子で自身もまた能楽(猿楽)師であった観世小次郎信光の作である。
兄である頼朝に追われることとなった義経は西国へと落ち延びてゆく。大物浦に着いた一行はここから舟で西へと下る。舟の手配を待つ間、静に都へ戻るよう告げる義経。烏帽子を付け白拍子姿で義経の門出を祝福し、別離の舞をまう静御前。前場はこの義経と静御前の別れを主軸とし、後場は静を残して船出した義経一行に襲いかかる荒れ狂う海、平知盛の怨霊との戦いである。義経を海に沈めようと激しく迫る知盛だが、弁慶の祈祷の前についに泡沫と消えてゆく。